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72年前の今日 1945年7月20日未明に岡崎市にB29
132機が来襲、0時52分から2時10分まで焼夷弾などを
約12500発を投下する空襲が行われました。
市街地は火の海となり翌朝まで燃え続けて
死者200名以上 家屋の全半焼7500戸以上 被災者32,000名以上
大惨事となりました。
三河地方は同じ年の半年前1945年1月13日にM6.8の三河地震が
発生、壊滅的な打撃を受けたところでした。
隣町の安城市から私の父は防空壕から、岡崎空襲を見た際には
岡崎の上空は昼間のように明るかったそうです。
終戦間際には大都市以外の地方都市も攻撃目標となりましたが、
もう少し早く終戦を迎えることができていれば、このような
空襲を防ぐことができたでしょう。
戦争体験を伝える世代は次々と亡くなっていますが、後世に
伝えていかなくてはなりません。
NHKオンラインWEB
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